阿蘇紀行-ASO GLOBAL GEOPARK- Vol.20 阿蘇を一周する。

阿蘇紀行Vol.20/南郷谷、阿蘇谷、中岳噴火口、外輪山。

 熊本地震以来禁止されていた中岳噴火口の物見遊山も解除された今日、地震後の阿蘇を俯瞰してみたいと思い立った。そんな訳で今回、阿蘇全体を探索するような気持ちで南郷谷、阿蘇谷、中岳噴火口、外輪山をふらふらと旅することにした。素晴らしい天気にも恵まれ、また素晴らしい景観を織りなす夏の阿蘇を堪能できる旅であった。ちなみに上記の写真は全て最近の私の懐刀になっているiphoneXで撮影したもの。今回は写真集としての要素が大きいので、大きな画面で是非。
滝坂次郎

南阿蘇(南郷谷)/阿蘇吉田線の情景が素晴らしい。

 
 
 
 
 
 
 
 
  

 南阿蘇から阿蘇に入り、阿蘇山上へ向かう。そんな中美しい風景に出会う。土砂崩れの跡さえもその自然美に満たされていた。自然と人との暮らしが共存する里山。持ちつ持たれつの関係と一定の距離を保とうとする線引きされた関係が均衡している。両者の関係性は常に一定という訳ではなく、その時々の在り方が少しずつ異なっている。そんな危うさが垣間見える関係性の中に、里山の美しさが秘められているのではないだろうか。光を浴びた田園や草原は煌めく。遠くには熊本市内の金峰山や島原の雲仙まで望むことが出来る。

 熊本市内からは、西原村の俵山を通るルートも、大津町から長陽大橋(北向山)を通るルートもいずれも素晴らしい景色に出会うことが出来る。更には南阿蘇から登る阿蘇山上ルートは北側とは異なる趣が残っている。南阿蘇に入ってしまえば、久木野にある道の駅で一休みするのも一興だ。

砂千里の光の情景を探索する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 阿蘇、中岳噴火口は非常に有名な観光地。全国からの修学旅行生もとても多い。噴火口はいつも観光客で賑わっているが、その途中に立ち寄ることが出来る砂千里ヶ浜となるとその賑わいも劣る。しかしこの場所も前者と引けず劣らずの魅力を持っているように感じる。登山者から見てもこのルートの面白さはまた格別なのだ。黒澤明監督の「乱」でロケ地として採用されてもいる。それほど場所としての魅力が際立っている。火山灰が一面を覆い、その色が全体に広がっていて、空が曇ればそのモノトーンに魅了された。

中岳噴火口で感じる大地の鼓動。


 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 

 以前の状況であれば噴火口見学が当たり前にできていたし、ロープウェーも運行されていた。観光地というイメージも大きく、登山者以外はどちらかといえば県外や国外からの観光客で、地元民も一度や二度訪れた記憶があるというような場所だった。現在でもそうなのかもしれないが、私が規制解除後に見た阿蘇噴火口は以前もっていたそのイメージを遥かに凌駕するものだった。今も息づく活火山としての阿蘇はやはり素晴らしい。上空の雲の合間から光が差し込めば、荒々しい岩肌や噴火口の中まで照らされる。そんな景観に危うい美しさを感じるのだった。

阿蘇谷(一の宮)/阿蘇吉田線の情景は美しい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 阿蘇市の一宮というと、後述する北外輪山に位置する産山村と共に数年を過ごした場所。今思い返せば夢のような日々であって、毎日の変化量の著しさに驚いたものだった。そしてその感覚は、度々足を運び写真を撮る現在にあっては益々感じる所なのであった。山の日中は日頃、熊本という平野部に住む我々からすると少しだけ短い。熊本市内が夕焼け空に染まる頃、既に阿蘇谷は外輪山の影に入っている。だけれども、そんなときの光の情景は心の震えを覚えるほど、いや実際に身震いするほど美しいものだったりする。

 ところで、阿蘇谷もまた南郷谷と同様に里山の風景。山に草原が広がっており放牧地として機能し、またそこでは数々の野生としての動植物も息づいている。少し下っていくと杉林が広がっていて、人家との境界線を成している。もっと下って谷間の平野部になれば、田畑が広がっていて、ようやくその中に集落がある。阿蘇山上と外輪山の間は、草原、杉林、田園、杉林、草原ととても面白い景観がある。またそこに自然と人との営みに保たれた関係性を見ることが出来る。良い間柄とは人間同士の場合も同様に、一定の距離感が尊重されなければならない。そうした関係性には緊張と緩和の駆け引きが存在する。そしてその中にこそ、自然が魅せる厳しさや優しさが秘められている気がしている。

阿蘇・北外輪山をぶらり。

 
 
 
 
 

 外輪山から見る阿蘇もこれもまた素晴らしい。この場所からは阿蘇五岳の涅槃像としての姿を眺めることが出来る上、阿蘇らしい草原を愛でる事もできる。年中を通して比較的涼しい気候に恵まれている。また全方位の見晴らし。阿蘇山系、祖母山系、久住山系と山々の頂の連なりを見渡し、自分というものの小ささを実感できる場所でもある。「ちょーいちょいちょい。」私にとってはそんな掛け声が聞こえてくる気がする。この掛け声は産山村伝統のウサギ追いで、草を叩きながらウサギを追い込んでいく際に発するもの。「うさぎ追いしかの山」という唱歌の歌詞で瞼の裏に浮かぶ光景でもある。

無為自然。

 自然とは人にとって欠かせないものであることを再認識した阿蘇一周。日々に追われていると、宇宙という法則から見た人間の小ささを忘れ必死になっている自分がいる。勿論そんなことは当然。人間には喜怒哀楽があって、欲があって全く不思議はないのだけれど、自然に触れているとそういう事はどうでもいい事であることに気付く。それに気が付くというよりも、そんなことを忘れてしまっている自分がいるのである。光が織りなす自然の光景はまさに人が欲しているものである事に気がつく。

 歴史上、古代より人々が考えてきたことの一つ、それはよりよく生きるためにはどうするかというもの。諸子百家の中の老荘思想には、無為自然というのがある。春夏秋冬という季節は常に巡っていくけれども、夏は暑くていやだと思っても夏はくるし、冬は寒くていやだとおもっても冬は来る。そうした自然の摂理に逆らった生き方をするのではなく、もっと自然の摂理に従い生きる事を説くものだ。天変地異があっても、それをねじ伏せようというのではなく、それに応じた生き方をしようというものだ。こうした思想は、我々と同じ人間が考えたもの。今も昔も人間が悩む事や考える事など大して変わっていないのだと面白く捉えるものだったりする。日々の人間社会に生きている我々。ふらりと阿蘇や自然に溶け込みたい気持ちになる私は「無為自然」を実践しているのだと独り可笑しく納得するのだった。

 
 

 帰り道の熊本平野。南郷谷や阿蘇谷を水源とする白川の流れ。

撮影機材/本体:Canon EOS 7DmarkII (APS-C:一眼レフ)、Canon EOS 5DmarkⅣ(フルサイズ:一眼レフ)
レンズ:EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USMEF24-70mm F4L IS USM

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ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。