さくら-SAKURA cherry blossom-2018

2018年のさくら

 梅が咲くのも例年より遅れていたような気がしていた。寒い日がいつまで続くのかと思えば、桜まじ。植物、動物たちが長く深い眠りから目覚める。春の疾風は草花の肩を強く揺らし、彼らの目覚めに一役買った。3月も20日を過ぎて、既に近所の桜は見頃を迎えていた。この時期訪れる雨と風は、寒さと暖かさの積極的な攻防を示しているようだ。
滝坂次郎

花の雨。煌きの花。/3月21日撮影。


 雨音で気持ちよく起きた。ザーザーと降り続く雨は清々しい冷気を携えていた。背伸びをしながら、この春らしい雨を撮りにいこうかと考えていた。近所の桜の状態も気になりつつ向かった先で、それは見事な開花。曇天に明かりが差し込んでいるような気持ちにさえなる。

 
 
雨雫は花々を瑞々しく潤す。

 
 雨の日、花弁は総じて下を向いている。しかしその顔を下からのぞき込んでみると、表情は嬉々としていて明るくみえた。

 雨粒が光をまとい、周りの景色を映す。少しずつ膨らんでいく雨粒。最後には滴り落ちる。その瞬間花弁が少し頭を上げる。 


 雨の日ならではの柔和な光が木々を包んでいる。そして時々吹き上げる風は條々を優しく撫でた。


 断続的に降り続く雨。「ザー。サー。バタバタ。」辺りには静かな雨の音。時折鳥の声も聞こえる。水が溜まれば波紋を作り、桜の木は揺らめいていた。

 
 
 雨に打たれて首を垂れる桜花。桜の幹はしっとりと濡れて、その質感が好い。桜の木の下は雨宿りに最適。鳥もやはり考える事は同じで、枝と枝、幹と幹の間を時折羽ばたいていた。

3月21日/雨と桜。

 途中土砂降りではあったのだけど、そんな中でもやはり桜は綺麗だ。一年の中でこの瞬間にだけ見られるその美しさはやはり別格だ。写真は永続性を持たせようとする試みではあるが、それでも現実の世界の空気までは、容易にそこに落とし込むことが出来ない気がしている。

 現実に出会う桜の花には歓喜する。そこには心から沸き立つ動機がある。それを写真にする事は私にとって挑戦でもあるのだが、やはりまだまだ到底その希望を叶えるには至りそうにはない。

 花鳥風月。季節を感じてみると”自然に暮らす”意義深さが見えてくる。風土が私を形作っている事を実感できるのだ。

 今回の撮影は全て100mmマクロレンズによるもの。

春の池。立田山で季節を愛でる。/3月24日撮影。

 夕暮時の立田山。とても気持ちの良い気候で、温すぎず寒すぎずその場にいる幸せを噛みしめることが出来た。春の池にはダイサギやオオバンも憩い、桜は様々な品種が咲き乱れている。この土曜日、一日天気にも恵まれて熊本は花見の行楽客で何処も賑わっていた。

 
 

 池のほとりにある枝垂桜も花を付けていた。池への映り込みはまるで油絵のよう。夕暮時の柔らかな光。水面を反射する空の色はとてもやわかな水色をしている。この淡い色にほっこりと私の心も癒される。

 
 この風景の中にもオオバンがすいすいと優雅に泳いでいる。この景色を堪能しながら餌をついばんでいる。

 嬉しい事にこの日は彼らの子供まで見ることが出来た。普段は何処に隠れているのだろうか、あまりその姿を見かける事はない。鴛鴦の契りを結ぶ彼らは、いつも二羽で行動を共にしている。そしてこの日も例外はないようだ。

 湖面に映りこむ桜の木が美しい。

 どこからともなく優雅に飛んできたダイサギは目をエメラルドグリーン色に隈取りしている。彼らの婚姻色は誠に不思議な色をしているが、しかしその色は確かに私の目もくぎ付けにする。彼が佇む姿はとても美しい。今日は枝垂桜も映り込み、心嬉しい景色だ。

 
 

 日が山陰に隠れてしまうと、少しばかり肌寒さを感じる。それと同時に空を見上げると半月が明々としていた。花咲く桜の木を見上げる私。また30秒露光で日没後の風景も撮影してみる。猶更静寂に包まれる立田山。辺りは静まり返り、私の周りを蝙蝠だけが右往左往していた。

 夕暮時、オオバンが泳いだ波紋だけが赤く光る。また桜の花は直接照らされていた。心に残る景色の一コマだった。

 
 

 いかに立田山に通おうとも、いつまでも初めてのような感動を味わう。むしろ少しずつそれが深まっていくような気がしている。70万程の人が暮らす都市の中心部で、このような自然を体感できることに感謝しかない。いわんや過疎化が進み、財政的にも豊かとはいえないこの都市で。こうして身近に自然に親しむことが出来る”豊かさ”について少し感じ入るところである。

3月24日/柔らかな光に包まれる森。

 先日と打って変わって雲一つない日本晴れである。そんなとき夕暮の光はとても柔らかなもので、辺りのものを淡く照らしている。同様にその色はぼんやりとしていた。春の霞みはしばらく続くようだが、またそれがいい。今後散っていく花とまだまだこれからの花とあって、まだもう少し楽しめそうである。

春霞を撮る。網田の駅、熊本の城。/3月25日撮影。

 春の陽気は朧めき、空は霞んでいる。まずは宇土の方へ赴き、網田駅のレトロカフェで一息つくことにした。静かにお昼を食べて、行き当たりばったりの旅を楽しまんとす。コンパクトフィルムカメラであるTC-1のみを懐に忍ばせ、麗らかなこの季節、ある種文化的に過ごしてみたい気持ちになった。

春霞の網田駅を撮る。

 
 

 網田駅舎の窓から見える桜。駅に列車が停車する。昔ながらの駅のホーム。そこに待つ人を傍らに立って見守る桜木。それはまるでサーバントとしての静粛さを保っている。

 駅を去って行く列車。列車から降りた人々が線路を横断する。線路が光沢を持って視線をいざなう。こうしたローカル線の風景はとても魅力的。

 線路の脇の桜並木は地元住民が、この網田駅を素敵な空間にするべく植林したもの。この季節、その霞みが既に春の訪れを知らせてくれているようだった。

 

春霞の熊本城を撮る。

 
 

 この時期、熊本城には毎年足を運んでいた。城内の桜はとても綺麗であった。その光景の記憶は今でも留めている訳であるが、2年ぶりに訪れた熊本城での花見。以前と変わらぬ桜の美しさであった。

 少し宙を舞う形になっている熊本城。

 
 

 二の丸から本丸を望む。堀を挟んで望む宇土櫓。全景いっぱいの桜並木が美しい。夕方に訪れた甲斐もあって桜がその柔らかな光を照り返し、なんとも艶やかな色を醸し出していた。

 以前であれば、この二の丸駐車場から本丸へと続く道。人の流れが出来ていたが、未だ崩れた石垣によって道は塞がれたまま。在りし日の姿を想像しながら見つめる。しかし桜の花はまるで熊本城を慰めているかのように美しく可憐に咲いている。多くの人の不断の尽力を感じながら引き返す。

 
 
 

 堀に映る桜並木が美しい。夕暮時、二の丸公園内の大楠の下で憩う人々。そこには多くの笑顔と歓声があった。

 三の丸の石階段下より、石垣上の桜を仰ぎ見る。いつの日にか復興したとき、また再びこの場所の光景をこの目で見てみたい。熊本城の復興、再建はまだまだこれからという状態ではあれど、少しずつ少しずつその姿を問い戻していく過程を見ていると、まさに熊本の心の復興の姿そのものだ。そしてこれからも熊本のシンボルであり続ける。

3月25日/朧めく風が吹き渡る。

 
 お気に入りのフィルムカメラTC-1はカリカリの描写が素晴らしく、そして私の思い出までも描写してしまうほどの秘めたる力がある。

 網田駅で食べたカレーの味。飲んだアイスコーヒーの香り。そしてあの気持ちの良い店員さんの対応。店内の雰囲気まで。

 熊本城の賑やかな人々の声。多くの観光客の姿。そして春の美しく可憐な色まで。

 朧めく春の陽気に包まれたときの喜び。私にとっての桜の季節は、より一層大切なものとなった。

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。