【さろく旅】長崎中華街の夜と朝の長崎孔子廟。嗚呼美しき中国様式。

 長崎といえば中華街と考えるのは熊本人だからであろうか。ランタンフェスティバルも落ち着いたこの時期に訪れる長崎新地中華街はとても過ごしやすかった。一晩明けて、長崎孔子廟へ赴く事にした。
滝坂次郎-銘

上バー 夕暮の中華街。お腹と心が満たされるとき。
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 悲しいかな。私が「旅行をしよう」などという時は必ずと言って良い程雨曇りの天気なのだ。この日もご多分にもれず朝から昼まで曇り、夜からは雨になるのだという。それでもかえって風情ある町の表情が見られるかと期待した。

 それで急な事ではあるが昼下がりに思い立って、熊本から高速を使って長崎市街へ。二時間の道中はあっという間に過ぎて行った。 

 現地へ着いたかと思えば、もう日没を迎えていた。それで荷物を置くと早々に中華街へ繰り出す。玄武門(北門)には長崎新地中華街の文字。観光客は思い思いに写真を撮っていた。私もカメラを構える。

 コンパクトフィルムTC-1は威圧感を感じさせず、私の旅行写真にとって最適化された道具だ。同時に思い出を描写するのにネガフィルムは頼もしい。Fujifilm PREMIUM 400とVenus 800。

 

 
 少しばかり街角を右往左往。食事時、どの店に入ろうかと悩んでいたのであるが、それよりも夜の雰囲気に少しだけ浸っていたいような気持ちになった。

 人々が往来する街角。ふらりふらりと店の中へ吸い込まれていく人波。

 湊公園から見る中華門。旧正月を祝うランタンフェスティバルで、つい先日まで華やいだ街。落ち着いた雰囲気が心地良い。 


 中国らしい建築技法。美しい月亮門のアーチ。交錯していくタクシーと歩行者。内部と外部というように区切られた空間を感じる。信号機と提灯の赤い光が闇夜に映えた。

 ふと思い出したかのように空腹感が襲う。それで私も中華街の一角へ吸い込まれて行った訳である。歩き回っていると江山楼という店には既に行列ができるほどであった。しかし人混みを嫌う田舎人でもある私はほどほどの客入りの店を探したかったのである。私が文明の利器を頼り入ったお店は、外から客入りを探る事は出来なかったのであるが、中の込み具合は丁度良く、とても安心できた。満腹し心も満たされて飯店を後にすると、長崎の街には雨がぽつりぽつりと降り始めていた。

上バー 小雨降る長崎の街。路面に反射する光が美しい。
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唐人屋敷跡周辺をさろく
 
 

 中華街を後にして、少しだけ近辺を散歩してみることにした。雨の日の街角は路面が反射してとても綺麗だった。しかしこの時故障を恐れてフィルムカメラのTC-1ではなかなか撮影する勇気が湧かなかったので、デジタル一眼の力に頼っている。今回はCanon EOS5D4 に EF28mm F1.8 USM という組み合わせで街歩きした。坂の多い長崎らしいこうした風景は、あまり熊本では見かけない。

旧英国領事館周辺をさろく


 
 旧長崎英国領事館。横を通り過ぎていくタクシー。

 職員住宅は修復作業が行われていて、併設されている木造建屋は撤去されていた。おそらく一時的なものであろうとは思われる。設計は英国政府工務局上海事務所建築課技師ウィリアム・コーワン氏。

 第二次世界大戦中の昭和17年までこの英国領事館は使われていたようだ。丁度日本軍が英国植民地であったシンガポールを攻略したのが昭和17年であるから、そのくらいまで使われたのだろうか。 

上バー 素晴らしき長崎孔子廟。中国の歴史と文化への尊敬の念を深くした日。
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 翌日に向かったのは長崎孔子廟。持ち歩いたのはTC-1だ。

 
 

 とても素晴らしい建造物に目を見張る。黄色の屋根や装飾、全てが見事に調和していてその威厳たるやすさまじい風格を備えている。屋根の黄色は高貴さを表している。伝統的価値観においては黄色は神仏などを意味する。その為歴史的に中国では、皇帝が着用する衣装や宮殿などあらゆるところに黄色が施されていた。

 
 
 説明によれば、孔子廟も皇帝と同格として黄色を使う事を許されたという。ちなみに日本で唯一、本格的な中国様式で建てられている孔子廟だそうで、建造は明治26年。清朝と在日華僑華人によって建立されたもの。こうしたものが今に遺されている事はとても感慨深い。日本にいながら中国に触れることが出来るのだから。また中国が背負う歴史と伝統の深さに敬意を抱くところだ。

 

 大成殿の前の広場には72賢人の像が両脇に並んでいる。廟の門戸は奇数を持って作られ、中央の扉は神と皇帝が通ることが許されているそうで、閉ざされている。こうした文化や廟の作りなど日本の神社にも見られる慣習であって、日本文化との共通項を多く発見できる。


 建ち並ぶ石像の後ろには、大理石に刻まれた論語。

 とても精巧に刻まれた72賢人像も圧巻である。親戚に似た人が必ずいるという。私は鯛を抱えた賢人に興味を持った。

 

 廟の中に鎮座する孔子座像。威厳をたたえた姿だ。中の雰囲気もとても素晴らしい。外の光が中を優しく照らす。

 
 
 私は実は中国の諸子百家の思想はとても好きだ。儒学なら「論語・大学・中庸」。道教なら「荘子」というのは自分にとってとても大切なもので、自分を肯定したり客観視できる。私自身、中国の古代思想にはとても恩恵を受けている。


 中でも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という”中庸の徳”という考え方は、私の人生規模で影響を受けたものでもある。この考え方はアリストテレスも同様にメソテース(中間をとれ)と言っている。これは歴史として積み上げられた常識(人間の知恵、経験知)だともいえるのではないかと思うのだ。


 帰り道、長崎の町並みと孔子廟。長崎のとても美しい町並みと懐の深い歴史は胸を打った。ここを訪れてからというもの、私の中国の歴史や文化に対して尊敬の念は深くなった。それは長崎という街が導いてくれたものだったのだと思う。中国文化いいじゃない。

長崎中華街、長崎孔子廟

 思想、文化、宗教、あらゆるものの影響を大陸から日本は受け入れている。それは西洋文化を受け入れてるのと同じくらいに。中国では文革の時代に現代の焚書坑儒を行い、過去の歴史を一度否定してしまった。

 儒学や書、仏教など、日本が中国の影響を大きく受けて、その文明を引き継ぎ、漸次的に発展させてきたという事実は重要な事だと思える。

 ある意味、在日華僑華人たちが大切にしてきたもの。それは我が国が大切にしてきた物と通ずるものなのかもしれない。それは我が国への愛着と中国文化に対する尊敬を同時に深くするものだ。こうした発見は、まさに善隣の都市、長崎に赴いたからこそ気づけた事なのかもしれない。

 

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。