【さろく旅】別子銅山。東平まで登る。ここは東洋のマチュピチュ?

 四国は愛媛県へ折角来たのだから。そんな思いに駆られて別子銅山までやってきた。ここは私がこれまでもこれからも興味をそそられるであろう産業遺産の一角である。江戸時代から採掘は始められ、この国の歴史を背負った銅山の一つである。九州の炭坑は多く三井系である。しかし四国にあるこの銅山は住友財閥の発展の足掛かりとして機能した。新居浜市が四国の中でも一大工業地帯として栄えたのは、この別子銅山を中心に多くの化学工業が発達したからでもある。住友という財閥とともに新居浜市もまた二人三脚のようにして、発展を遂げた訳である。

滝坂次郎-銘

新居浜市からマイントピア別子へ。その後、濃霧の東平地区を巡る。

上バー マイントピア別子にて別子銅山を散策
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 マイントピア別子というのは道の駅の名前。この道の駅は別子銅山の観光の中心となっていて、いわゆる東洋のマチュピチュを冠する別子銅山のシンボル「東平地区」への観光バス(マイクロバス)の発着点でもある。その横には国領川が流れていて峡谷となっている。ちなみに今回使用したカメラはコンパクトフィルムのTC-1。


 そこには古い鉄橋が掛かっていて、第四通洞へと繋がっていた。


 ここからトロッコが鉱石を運び出していた。しかしこの辺りに来るととてもひんやりと涼しい空気に包まれていた。何故だろうかと考えていたが、第四通洞から噴き出す空気であることに気付いた。


 中を覗いてみるとこのような状態で、深い霧が立ち込めていた。そしてこの隧道からはあちらこちらから地下水がしみだしていて、わきの側溝をちょろちょろと流れている。空気の通る音も聞こえ、心身共に冷める思いがした。


 マイント別子には観光坑道もある。鉱山の歴史を学びつつ、見ても遊んで体験できる施設があり、そこまで観光鉄道に乗る事も出来るのだ。我々はマイントピア別子とは別の方向から訪れたため帰りだけ乗ることにした。


 観光鉄道で昔ながらの隧道を通る。脇の煉瓦と出口の光が何とも美しい。

上バー マイクロバスで東平へ登る。
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 マイントピア別子から見える水力発電所。旧端出場水力発電所も産業遺産だ。濃霧。深緑に赤煉瓦が映える。

 ここからは東平地区へ赴くため、マイクロバスに乗り込む。もちろん道の駅から出ている観光バスに乗らなかったとしても自家用車で東平まで赴くことは可能だ。しかし途中の山道がマイクロバス一台分ほどの広さしかなく、更に急な山道、離合するのも大変だという前情報を得ていたため、今回はマイクロバスをお願いすることにした。このツアーでは案内人も付くため、予備情報を得られた。現地では案内を聞きながら廻ったり、自由行動も可能なため、この選択も良かったなぁと思う所なのだ。しかし、1時間ほどしか見る時間はない。もっとゆっくり見たいならばやはり自家用車で登ることをお勧めしたい。


 山を登るにつれて濃霧に包まれる周囲。しかし私はこの濃霧をむしろ喜んだ。こうした風情は逆にその雰囲気を高めてくれるに違いないと思えたからだ。


 変電所の屋上にはミツバチが飼われていた。


 もう8月も後半であるというのに、このような山では未だ紫陽花が満開で、濃霧と相まって美しい景観を織りなしていた。展望所からは何も望むことが出来なかったが、そこから下っていく階段の両脇には、石材の壁がそびえていて、とてもいい雰囲気だった。


 うっすらと先に杉林が見える。


 全体が見えなくともその雰囲気が素晴らしい。当時の面影を感じる。


 斜面に施設が作られていて、下を覗き込むと次の段が見える。このようにみると西洋の城郭の様だった。


 石垣が組まれた斜面。


 こうして見て回っていると小雨だった雨脚も強まり、土砂降りの様相を呈していた。


 とても頑強に作られた東平の貯鉱庫の遺構。立て看板にはマムシ注意の文字。蜂も飛び交っていた。


 雨露が草花を濡らす。そして花崗岩で造られた石垣にも雨水が伝い、どこか美しい。建築の美さえ感じる。

別子銅山というリアリズム

 私は自由行動を選択したが、規定時刻にバスへ戻ってみると皆雨に打たれて茫然といった感じだった。ガイドの人も急な雨に困惑しているようであった。もちろん山の天気は変わりやすい。こうした状況は織り込み済みだったとは言っても、これほど強い雨に打たれるとは想像に至らなかったところである。しかしながら逆にこの雨とガスによって、かえってその雰囲気を味わうことが出来たような気がしている。ツアーとしてはさんざんだったのだろう。「折角なのに申し訳ない」とガイドの人も言われていたのだけれど、寧ろ私はハッキリと何もかもが見えている状況が、霧雨というベールに覆われて、その神秘性を帯びたような気がしていた。東洋のマチュピチュ?という謳い文句も的を射た語呂だと思えるのである。ただしここは何といっても国運を背負った一大銅山で、日本の歴史を表す遺構。そのように考えると、もっと日本の”産業遺産としての別子銅山”というものを中心に捉えておきたいと考えている。ここに多くの人々の生活が存在し、更に他の多くの人々の生活を支えていたという事実に目を向けたいのである。

デジタルで撮影した別子銅山

この時旅した四国、松山城の記事はこちら

【さろく旅】四国松山を巡る。松山城とその城下町。

2017.08.20

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。