滝坂次郎

よりよく生きるための小さな心がけ。

 数年前のことになるのであるが、ランニング中に十字路を横断していて、右折車にはねられたことがある。当たった瞬間から走馬灯のように色々な事が頭をよぎった。そこまでスピードが出ていなかったこともあって5mほど飛ばされた程度で済み、それ以降も何ら後遺症という後遺症にも苛まれる事は無かった。とはいえ側頭部を打っていて、しばらくは吐き気のようなものが続いていた。それで病院にかかったのだが、大事には至っていないことが分かったのでようやく安心した次第である。

 しかしそれ以降しばらくは、明らかに交通に対する認識が変わった。横断歩道を渡るときは、たとえ横断歩道が青だったとしても、車が完全に止まるのを確認してから横断しないと恐怖心に駆られるという状況に陥ったのである。とはいえ数年たった今はそれほどの恐怖心は無い。それでも、その経験があったからこそ交通事故に対して細心の注意を払うようになった。

 さて事故当時の状況はといえば、日没してすぐという状況であった。そして私は蛍光たすきを掛けていた訳で、何ら事故に対して注意を払っていなかった訳ではなかったのだ。

 私はそれ以来、夜間の歩行などでは必ず懐中電灯、ヘッドランプなどを携帯するようになった。つまり夜間においては光を受けてそれを跳ね返す、というのみならず自ら光を発しなければならない。という風に考えたのである。そうすれば相手の光が当たるまでもなく、その存在を発見することが可能になる。それは衝突事故を回避するために「更にリスクを軽減するものである。」と思えたからである。そうした観点から鑑みるに、歩行者はいざ知らず、街中で時折みられる自転車などでの無灯火は非常に危険であることは言及するまでもない。

 面白い事に、こうした事実は”あいさつ”にも通じるものがあると考える。それは挨拶をして返す。という行為のみならず、挨拶を自らする。という行為によって、「人間関係における衝突事故のリスクを減らせる。」というように思えたからである。挨拶を自らする事によってその存在を周囲に示すという事になる。更にそれが返ってくるならば、相手の存在を確認することになる。またその反応によって体調や気分などを推し量ることが出来る。その挨拶の仕方や、相手の顔色などによって、今日の具合を確認することが出来る。相手が自分に対してどのような受け入れ態勢があるかというのが分かる一つの指標ともなり得る。

 そして地域コミュニティで考えたとしても、あいさつという行為によって犯罪率が低下する事が知られている。他者からその存在を確認される事が成されていれば、その理性に働きかけることが出来るという訳である。これは地域における衝突事故の回避ともいえないであろうか。

 つまり、”夜間の無灯火”や”挨拶をしない”という行為は、あらゆるタイプの”衝突事故”を引き起こしてしまうのである。だからまずは蛍光帯を携帯し、挨拶を返す。そして更には、ランプを携帯し、挨拶をする。という事によって、更に更に衝突事故のリスクを減らすことが出来るのである。この事実の発見は私にとってとても面白い事実であった。私も常にそれが出来るとは思っていないが、その事実を胸に、日常生活を歩んでいきたいと考えているところなのである。

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。