【さろく旅】長崎・池島。体験型の見学ツアー、ついに炭坑内部へ。/中編

今回はツアー「長崎さるく/学さるく/池島炭鉱さるく」にて予約(大人2680円/小中学生1340円)をしていた。午前と午後の部があるのだが、午前の部はプラス2時間のオプションツアー(大人3120円/小中学生1340円)も選択できる。私もこのコースをお願いしたが、参加者6名のうち5名がオプションツアーにも参加していた。ちなみに帰着大瀬戸か神浦となっている。私は宿泊だったためオプションコース含む大瀬戸帰着を選択し、備考欄にその旨を書き添えたのであるが、何の問題もなくスムーズにツアー参加できた。800円の炭坑弁当を頼む場合は別途料金が必要。ツアー申込の際にそこにもチェックがあることをお忘れなく。佐世保からの船の場合でも参加できるのでご安心を。

参考になる個人サイト:九州最後の炭坑「池島」の外より

森末はじめ-銘滝坂次郎-銘

長崎さるく。学さるくの池島炭鉱ツアー。ついに炭坑内部へ進入!

【さろく旅】長崎・池島。日本の炭坑技術の粋を今に遺す有人島。/前編

2017.02.07
前編は大瀬戸港から向かうフェリー。そして車を置かせてもらった宿泊先でもある池島中央会館から火力発電所などを見学するところまでを収録している。なお大体島を巡るようにツアー前に歩き回っているので、池島の全容と火力発電所のメカメカしさは前編で!

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  長崎学さるく池島炭鉱ツアー開始!
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集合場所
集合場所の桟橋付近に作業服とヘルメット姿の男性2名が待ち受けていた。待ち合わせ場所の階段でまず簡単な説明が始まる。この港湾が鏡が池という淡水池だったものを港湾化した話などを聞く。池島という名前の由来も、池のある島という所にその由来があるようである。干潮時にも5000トン級の石炭積載船が入ることが出来る港湾を作る必要があった。池の水を抜き、8メートルの深さまで掘削し現在の池島港が完成した。そうした説明を聞き、その後すぐに移動となった。

集合場所:桟橋付近の階段下。看板前。
当初待ち合わせ場所がこの辺りで良いのかと不安になっていた。先に到着している場合には、港の階段を降りてすぐの看板の場所と思っておくと良い。事前に予約した際に記入されていた場所を確認。埠頭と書かれていればここで正解である。

池島開発総合センター
池島開発総合センターで20分ほど動画を見て予備知識を得た。その後早速昼食の時間である。私たちはここまでツアー用の車で移動したのだが、移動の方法も徒歩の場合もあれば、車の場合もあるようである。

炭坑弁当
炭坑弁当800円。その場でお弁当やさんに支払う。これは金属の弁当箱が印象的だった。お茶もセットでついている。お弁当箱は食後に回収される。写真を撮って気付いたのだがご飯の位置が反対。食事をとり終えたら12時には出発である。それまでにトイレなどを済ませておく。ここのスタッフの方々はとても気さくで話しやすかった。出発まで少し会話を挟む。

トロッコ
その後はバッテリーを積んだ鞄を背中に背負い、ヘルメットを装着する。ちなみに持ち物は「部屋に鍵をかけて管理します」とのことだったため安心できた。カメラ機材など手荷物が多い場合はここに置かせてもらう。自分の場合はここから超広角のズームレンズ一本で臨んだが結果的に良かったと思う。再びトロッコ前で説明を聞き、トロッコで記念撮影もできる。「時間はたっぷりあるのでゆっくりいいですよ」とのことだった。その後、早速トロッコに乗り込んで坑内へ!

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  ついに池島炭鉱内へ!見学用トロッコ人車で進入。
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上記の動画はトロッコで坑内へ入っていくところを収めたもの。坑内へ行くにつれて気持ちが高ぶってしまった。ちなみに坑内はこの時期10~14℃程度のようで、そこまで寒くは感じなかったが、2月では上着は必要だ。このときの気温は12℃だった。

説明
入ってすぐのところで再び説明を受ける。今度は道具や機械類の説明を受けこれから待ち受ける機械などの知識を得る。ここ池島では大きな事故は幸いにしてなかったようだが、安定供給と保安は切っても切り離せない両輪で、この保安にとても力を入れ取り組んでいた。有事の際には各部署の要員で組織された保安隊が事に当たることになっており、訓練も積んでいたようだ。木綿の白衣が保安隊の制服で、静電気を帯びにくい仕様となっている。

トロッコ我々を下ろしたトロッコはひとまず入口のほうへ戻されていく。

内部
坑内の状況。ここはすごい。今坑内まで入って見学できるというのはとても貴重な体験だとおもうのだが、こうした活きた歴史が学べるというのはとても幸運なことだと思える。

機械
脇にはいかめしい機械。

説明
分岐のところに差し掛かり再び説明。構内図を見る。相当な距離を進んでいた。一時期何年も石炭が出ない苦しい時期が続いたが社長、社員の必ず出るという信念があった。しかし銀行からの借り入れもできなくなってしまった。しかしなんとか苦しい思いがあって掘り進んだ結果再び石炭採掘がおこなえるようになり、すぐに借金も返せたそうだ。

機械類
機械類の数々。

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  脅威。戦慄のロードヘッダーとドラムカッター。
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ダンプローダー
少し奥に進むと分岐があり、ここを左に曲がる。

ダンプローダー
そこには大型機械が!キャタピラー駆動。

ダンプローダー
前方にはいかめしい掘削用の刃がついている。これが高速回転して土砂を粉砕していく。これはロードヘッダー。ロードヘッダーはトンネル掘削などで使われる重機。さろく旅・大牟田編で紹介した夜景、三井製作所でも製造されている。

掘削部分
見れば見るほど恐ろしい形である。

頑丈
この天井からは水がしみだしていた。閉山時に坑道内は24時間駆動していた排水ポンプも停止し、閉鎖されたためおそらくは水没しているだろうという事だった。またこの天盤を支える木はほとんどが松の木である。松の木はそのヤニの特性により水に強いからだと思われる。

ダイナマイト
この工作機械である穿孔機でダイナマイトを挿入する穴をあける。

工作機械
少し戻って奥に進むと、上記の機械も体験することが出来た。

そのときの動画。

ドラムカッター
その先には石炭層をいっぺんに採掘していくドラムカッターと呼ばれる機械が。これも体験で操作することが出来る。さすがに体験では超低速ではあるが、恐ろしさを感じる。

これに巻き込まれて亡くられた方は、すぐに止めたとしてもミンチ状になって跡形もなくなるそうだ。その肉片を集めて形にするという様な負の体験も教えて下さった。危険と隣り合わせの現場。

保安週間
上記の書道では明らかに日本人の子供ではない名前もある。2009年まで海外からの研修を行っていて、そのときには家族ずれで来ていた人もいたようだ。ちなみにインドネシアやベトナムからの留学生が日本の高い水準の採掘、保安技術の修得を目指していた。これは保安週間の時のもののようだが、坑内のいたるところにこれを張り出して危機意識を高めていたようだ。

電気関係
電気関係の機器類。

機器類
様々な機械類。

分岐
坑道を戻り。最初の分岐を曲がって行く。

通路
さらに奥へ進んでいく。

ふじ
使い古されたタンク。

インドネシア
右側の画像では、外国の発音をカタカナで書かれている表記があった。

油まみれ
油まみれの区画。

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  諦めない心と安堵の光。
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シェルター
ここは避難場所。シェルターの入口。

シェルター内部
シェルター内部には非常用の電話、食料、水なども保管。また酸素吸引用のボンベも備え付けられていた。万が一の際はここへ避難する。

シェルター
チリで発生したコピアポ鉱山落盤事故では、このようなシェルターに33名が避難し、69日後に全員が無事に救出された。シェルターに避難している事が分かったために先に食料を小さな穴から供給しなんとかなったという事だった。「皆さんも諦めずにいればなんとかなります。諦めないことが大事です。」という言葉が胸に刺さった。

外の光
ここは坑口。外の光が眩しい。炭坑労働者は当時蛍光灯もなかった。そのようなところで命綱だったのはヘッドランプひとつだったのである。8時間もこのような閉所暗所にいて、それであの光を見えたときの一日の安堵感といったらなかっただろうと想像出来た。私はたった2時間ほどの滞在、そして比較的安全であるという保障があり、ましてや労働ではなく観光。それでもなお、光に照らされる坑口を見て安心感を得ることが出来たのであるから。

池島炭鉱

素晴らしい経験ができたと心から思える場所。池島炭鉱。ここは光と影の歴史を実体験として経験できるものである。ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といった。しかし私は実体験でしか分からぬものもあるとさえ思った。ここ池島にはその要素が詰まっているという事である。これまで行ったことのある荒尾や大牟田の炭坑群でさえ、その本質。中核であると言っていい坑道内部にまで、歩みを進める事は出来ない。しかし今回初めて坑道での体験を通して、経験から歴史の学びとすることが出来たのである。命からがらの仕事。おそらく当初金銭が目的だった者でも、この労働は他に何か心に宿すものが無ければ勤まるものではない。私は元労働者たちに対して尊敬の念を抱くものである。

【次回】いよいよアパート群と第二竪坑へ!ツアーでしか見られない大浴場も必見!

【さろく旅】長崎・池島。オプションツアーで立ち入り禁止を闊歩!/後編

2017.02.13

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。