モノクロームにおける針尾送信所

滝坂次郎

モノクロームにおける針尾送信所

長崎県の針尾送信所を見たとき、その大きさに驚嘆したものである。「これほどの巨大建造物が九州にあったとは」と。現在モノクロームを練習している段階ではあるが、この建造物に対してノスタルジーを感じてほしかったわけではないのである。ただその威容を伝えるには肉眼でのインパクトを写真に押しとどめるには惜しいところなのであった。そこで私は一計を案じ、ここにその抽象性によって”どうにか表現できないか”と甘い期待を持って考えたのである。そのような想像によって補完する方法はないのであろうか。ともあれ今回は初めてと言って良いほど抽象的な表現に終始した試みとなっている。

針尾送信所全景

上記の写真では、海への塔の映り込みと左の灯台の大きさからその大きさを表現してみた。実際にこの試みは成功しているような気がしている。もっとも本当ならば海の映り込み”のみ”を撮影したいものなのだが、そうすると鏡のように綺麗な映り込みではない為に、そもそも巨大な塔がそこにあるのかすら不明になる。だから今回は根元だけを入れてみることにした。ちなみにこの海は渦潮になっていた。

針尾送信所

上を見上げると明らかに木々よりも高いのである。そしてその形状は自然のものとは思われない直線をなしている。こうしてみると周囲の環境からすると異様な建造物である事がうかがえる。自然と人工物。この違いが明らかにそのシルエットによって表現できるのではないかとさえ思った。高さが表現できたとは思えないが。ちなみに雲が頂点にきたところで撮影している。

巨大な塔が3本

今度はその抽象性をもったシルエットにて、木々の幹と塔の太さの違い。それから複数本存在しているという部分を強調したかった。そんなとき思いついたのがこの写真である。一番留意したのは2点。無駄な余白にならないように枝が左上の余白を十分に埋めてくれる点。それから遠くの塔が枝によってそのシルエットを潰されないようにするという点だ。手前のシルエットによってその太さを表現しつつも、この太さの塔が遠くに見えると細く小さくなる。そうすると大体の倍率でその大きさまで分かるという寸法である。

入口

この写真では入口手前の流線型をなす木に注目した。この面白さと奥のアーチドアによってその丸みが強調され、シンクロしているように見える。しかも入口に光が当たる。つまり「白い」ことにより視線を入口へ向けることが出来た。人の眼は白いほうに向けられる。つまり木々が額縁を為し、その中心のドアに視線を誘導することが出来ると思う。

塔の内部

内部はとても美しい。しかし問題な事に私は超広角で撮影してしまった。おそらくだが、ここの素晴らしさは高さよりもその内部の入射光だと思う。だからこそこれは説明的にするのではなく、もっと望遠で何を撮っているのか分からない。だがその光が美しい。というようにするべきであったのだ。こうした撮り方はあまりのすごさに「撮らされた」と言っても良い。今回の反省点はここにある。

塔

天辺ギリギリで切れるように撮影している。そうすることで完全な円錐であるというような錯覚を狙った写真だ。煙突状の形状をなしているはずの物体が円錐にみえる。これはその高さと錯視の面白さを撮影しているのだが、狙ったように撮れていただろうか。

油庫

油庫で撮影。窓から見える竹林によって掛け軸のような写真にしたものだ。これは額縁構図の典型で古典的発想だともいえる。ちなみにこれ以上引いても無駄なものが映り込み、またこれ以上寄ってしまえば竹林の中に空が一部入り込んでしまう。そうすると本来見てほしい竹林に対してアプローチが散漫になり、視線の誘導が行えない。こう言う場合に重要なのはやはり立ち位置と画角の両方だ。そうすると自分がまず動きながらもそれ以上の調整についてはズームレンズによる微妙な画角コントロールが必須であった。

電信室

三本の巨塔の中央には電信室が位置している。窓にはその塔の一本が写りこむ場所で撮影している。電信室には蔦植物が張り巡らされていてその雰囲気を際立たせる。実は超広角レンズをもってすれば左右後方と3本の塔を同時に映しこむことが可能である。私が考えたのは左右は画角に収め、後方は映り込みによって撮影するという方法だ。しかしその方法で撮影するに当たり構図によっては散漫になってしまった。ただし雲が味方をしてくれればそうした写真を撮る事も可能だと思う。

デザイン・表現としてのモノクロ

正直、ここまでこの試みが面白い物になるとは思えなかった。しかし実際に撮影してみるとその表現力の高さに驚いた。抽象性を武器に様々な雰囲気を写真の中に落とし込むことは不可能ではないらしい。今回はそうした可能性についての発見が大いにあったという事だけでも成果としたい。まだまだモノクロ写真として未熟な部分は多いと思う。しかし今後その表現法を取り入れたことで明らかに幅が広がったことは、わざわざ言及に値しないほど大きな収穫であった。

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ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。