モノクローム練習帖-質感・陰影等の考察

滝坂次郎

モノクローム練習帖

現在モノクロ練習ということで個人的にどういうものがモノクロに向いているかをチェックしてみることにした。ところでなぜ急にモノクロなのかと思うかもしれない。実は久しぶりにセバスチャン・サルガド氏の写真を見ていて突発的に「してみたい!」という症候群にかかってしまったためだ。実は前々からモノクロには興味があったのであるが、なかなか行動に至る起爆剤がなかったというのが本音でもある。ところで、以前の写真家は当たり前ながら白黒フィルムで作品を構成している。情報過多な部分に制限が掛かかることで、とてもいい写真が生まれているのも事実だと思うのである。私の勝手な解釈だが、スポーツなどのゲームにおいてはルールは必要であるが、そのルールがシンプルな程”奥が深い”と思っている。つまりモノクロ世界の奥深さを知る事で、表現の幅が広がり、カラーにおいてもその知識を応用できるのではないかとも考えている。本来ならばフィルムカメラで出来るのが一番なのだが、現在はとりあえずの環境で勉強してみることにした。

孔雀

孔雀を撮影したものであるが、このとき孔雀にはちょうど良いスポット光があたりその羽の色や形の美しさを際立たせていた。本来色がとても特徴がありとても美しい孔雀の羽であるが、そこから色というものをある程度削ぎ落としてみると今度はその形状に目が行くようになった。この形状もまた美しいのである。形を意識する場合にはこの表現法は適切であるようだ。

羽

今度は孔雀のアップ。色が左右の両翼と真ん中の胴部分は異なっていたが、モノクロにすることでむしろ一体感が引き立った。しかも点や線、色と色の境など、あらゆる部分の境界をはっきりさせるのにも使えるのかもしれないと思った。

線のある世界

映り込みを写す作品なんかも非常に相性がいいのではなかろうか。しかもそれまで色というものに目線が奪われていたとおもうのだが、こうすることで鳥とその波紋に目がより引き寄せられるようになったように思う。

阿蘇

サルガド氏の写真を見て思うところ、形というのが重要になるため意外に空をいれても散漫になりにくいように感じた。こうした風景と撮影する場合には積極的に雲を入れる事でパース感が出て、とても安定感のある構えの写真になるような気がした。

湖畔

この写真も右の木に光が当たったところで撮影したもの。カラーの場合多くの木々を一度に画角に収めても統一感と共にそれぞれの形状がそれに埋もれる事はあまりないように思うが、モノクロの場合は主役をはっきりと決めていないと、あらゆる木々が同じように見えてしまう。逆に言えばデザイン的な思考には向いているかもしれない。没個性化というのだろうか。だから光と影と共に主題をより明確にしないと余計散漫になってしまう気がした。

湖畔

斜陽の湖畔を撮影。木のディティールを抽出できたと思う。こういう光と影でありながら、陰の部分も黒すぎない写真が結構楽しいかもしれない。つまりコントラストが強すぎない朝か夕か、昼でも薄曇りくらいのときがいいんじゃないかと想像できた。これは収穫だ。しかも色のコントラストがあまり意味をなさないという点。黒の締まりが引き立つため散漫になりにくい点も感じた。明らかにカラーとモノクロームでは、その写真志向すら転換していいのかもしれない。

今後使うかもしれないモノクロ

モノクロームが一つの表現として成り立ちそうだったら今後ほかのコンテンツの写真の何枚かもモノクロームという表現を行ってもいいかもしれないと思った。自分が撮った写真をこうして並べてみてもモノクローム特有の面白さがある。その性質に応じた表現が出来れば十分ではなかろうか。今後少しずつ練習していきたい分野である。アンセル・アダムス氏の写真も勉強してみようかな。

モノクロームとしての阿蘇

2017.03.10
▲阿蘇のモノクロ写真

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。