えびの紀行-EBINO-KOGEN Highlands-

滝坂次郎

えびの紀行

実はえびの高原。昨年(H28年)の11月に訪れた場所である。その時にはこのブログも完成していなかった。ただこのときの情景は今も鮮明に焼き付いている。ところで私がフルサイズの一眼レフを購入したのはつい先日のことであり、それまで長い間をAPS-Cサイズの一眼レフで試行錯誤していた。確かに諧調の豊かさやノイズの少なさに大きなアドバンテージがあるものの、私のように三脚を据えじっくりと被写体と向き合う撮影方法であれば道具としては十二分の活躍であった。そしてフルサイズの一眼レフを手に入れた今でも「彼」は未だ現役だ。道具というのは使う者の意図を反映するものである。それはいい御者が居てこそ、その実力を如何なく発揮する馬なのだ。しかし出番は以前より減っているのもまた事実である。わたしは愛馬の足跡をここに残しておきたい。

猪八戒のさすまた

猪八戒のさすまたEOS 60D/EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM/三脚/ISO100:F16:1/50秒

とても透き通った湖畔。それを取り囲む赤松の群生林。植生が豊かで魅力ある美しさだ。何処を切り取っても絵になるのである。ただしこういう場合私にとって重要なのはただ無闇にシャッターを押さないように心を沈ませる事。これが出来ずに失敗した写真は数知れない。対岸のススキは光を浴びると金色に輝き、視線を奪う。その傍らにはとても私好みの魅力的な木が目に入った。光が木を照らしたときに撮影。

植生の不思議

植生の不思議EOS 60D/EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM/三脚/ISO100:F16:1/30秒

山の上部は植生が異なっていて、この対比も実に愉快だ。斜陽の光はこうした木々の輪郭線を際立たせると思う。木の造形は何故こうも惹きつけられるのか、今も私にとって納得した答えが得られていない。だがこうした木の作りが好きである事には間違いない。森の植生はとても特色にあふれている。ただ「森」といえば同一に捉えがちであるが、その環境に即した植生によって極相が保たれている。こうした事実は、その土地柄、風土を体現しているようだと思う。

黄色のおにぎり

黄色のおにぎりEOS 60D/EF24-70mm F4L IS USM/三脚/ISO100:F16:1/6秒

この年の紅葉はどこもあまり発色は良くなかったのだが、それもそれで一興だと思う。なぜなら普段なら赤まで至る葉っぱが黄色や橙色で既に散ってしまったり残っているのだ。だから少しいつもと異なる色を堪能できたように思う。赤色に染まる山肌の一角に黄色のおにぎりのような形をした箇所があった。これもまた不思議な事に周囲と異なる植生をしていた。

開幕のファンファーレ

開幕のファンファーレEOS 60D/EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM/三脚/ISO100:F16:1/6秒

九州では大体いつも雲仙普賢岳が一番に紅葉が始まり、それに準じるほどの早さでここ「えびの高原」も紅葉する。この色彩が来たる冬の訪れを知らせ、ファンファーレを奏でているようだった。実はこの場所は写真家にとってはスポットのようで、私が訪れたときには三脚が横一列に並んでいた。私も少しの間だけお邪魔したのだが、皆しばらくここへ通っていい写真を撮りたいという意気込みにあふれていた。私は少し肩身が狭く感じ、この場で魅力ある赤松に光が当たったところで撮影して退散。

えびのの草原

えびのの草原EOS 60D/EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM/三脚/ISO100:F16:1/10秒

夕暮となってきたのでそろそろと帰っていると更に幾人かの写真家たちとすれ違った。「もう帰るの?」と声を掛けられたのだから、おそらく夕陽と一緒に撮影するのであろうか。ちょっぴり後ろ髪を引かれる思いであったが、私は「自分のペースで撮れればいいか。」と諦め、他の魅力をさがしながら下山。そんなときに撮影したのだが、草原の中にぽつぽつと岩が点在していて面白い。

不動池

不動池EOS 60D/EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM/三脚/ISO100:F16:1/3秒

今回巡った池は3カ所。白紫池、六観音御池、不動池だったのだが、最後の不動池が一番良い色をしていた。酸性度がとても高く、多くの生き物は生息できないようだ。この時間になると薄暗くなって曇り空であったのだが、こうした光の中の情景も結構いい。しかし私が好きなエリオット・ポーター氏の写真のようにしっとりとして派手すぎずに人々を魅了する写真はどうやって撮るのだろうか。結局のところフィルムを研究するしかなのだろうか。色合い。まだまだ研究しなければならないことが多い。

森林と過ごす時間

この日の撮影でも疲れはやはり吹き飛んでしまった。好きな事をして好きなものを見る。ただそれだけでいいのである。私の60Dはここでも如何なくその実力を発揮してくれた。ところで被写体となり得るものはあらゆるところに存在している。ミクロの世界。マクロの世界。いずれにおいてもあらゆる魅力が備わる自然。私はこうした事実を胸にとどめておきたいと思う。写真を撮るという姿勢は様々で千差万別である。被写体と向き合う。そうした時間はとてつもなく心地良い。しかし事実、私は多くの時間を写真に割けるわけではないのだ。その事実と向き合ったとき、私は一つの結論を導き出した。写真においては「自分が撮りたいものを撮る」という姿勢よりも「撮らせてもらえるものを撮る」という姿勢が重要になるのだと。確かに撮りたいものがあるというのはモチベーションとなるし、撮りたいものがあってその場所に赴くのである。ただその場所には他にも多くの魅力ある被写体が転がっている。撮りたいものに良い光が来るのを待つという姿勢も大事だ。しかし寧ろ、いい光が来ている魅力あるものを撮るという姿勢が私にとってはもっと大事である。過ぎていく時間。移ろいゆく季節。その瞬間に多くの魅力が広がっているのである。せめて身の回りにあるその瞬間の煌きを大切にしていきたい。

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。