【随筆】人生の短さと歩く速度

上記の写真は加藤清正公が参勤交代のおり使用した街道。二重ノ峠で撮影。

滝坂次郎

人生の短さと歩く速度の相関関係

人生は短い。」そう我々は先達から教わってきた。短い人生において時間の短縮、効率化は人類の命題のように思えてならないのである。しかし、「人生」というと単なる「時間」という尺度では測れないものでもある。

私たちの享受する技術は、以前と比べれば見紛う水準に達している。伝達という手段をとってみても、気軽に手のひらの中で会話が出来る時代となっているし、移動という手段をとってみても、徒歩から比べれば格段に高速化している。これは単に物事が効率化しているというだけでなく、以前より便利になり苦労せずして得られる豊かさの質が格段に上がっているという事。そのはずである。

しかし、短い人生を先人たちよりも有意義に過ごせているかという問題となると難しい。人間が記憶できる速度というのは限られている。新幹線で遠方へ行ったところで得られる感動は小さく感じてしまう。もちろん異文化に接触する事は出来るのであるが。ともあれ、先人たちは隣国、隣県へ行くだけでも様々な下準備が必要であったし、労力や時間が必要であった。
東北新幹線・松尾芭蕉
周りの景色を見て、地図と格闘しながら、時には他人の世話になりながら目的の地へ向かっていた。道程には、様々な香りが漂い、ある場所では木や花の香り、またあるところでは肥料の匂い、またあるところでは軒先の煮炊きの香り、その他さまざまな薫りがあり、見る物は風景そして行きかう人間、休憩しては世間話。もしくは、歩いている最中は目的地に着けるかどうかという不安。夜にならないかとヒヤヒヤしながら宿場を探さなければならないという状況も待ち構えている。一つ一つのことを成し遂げるにはあらゆる思慮をめぐらせる必要があり、また長い行程の間には、「人生」について考えるという余裕すらあったに違いないのである。

今我々が、暇さえあれば受動的なスマホやテレビというような情報媒体に向き合う。そのような時間を自分と向き合う時間。家族やその他の人と向き合う時間となっていた。そう考えると人生について真剣だったのは、先人たちだったのかもしれない。確かに効率化によって時間的には短縮されたが、その中に短縮してはならない大切な部分までも見失ったのではないか。そう考えてしまうのである。果たして、道程をいちいち覚えているだろうか。果たして、目的の場所に辿り着くための勇気は必要であろうか。果たして、自分と向き合う時間はあるだろうか。

そのように考えてみると、先人たちより我々の人生のほうが薄く短いものになっているのかもしれない。「人生は短い。」きっとその尺度は「時間」というより、人生の「密度、質」であるに違いないのである。

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学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。