【随筆】人はナゼ勉強するのか?

滝坂次郎

子供の「なんで勉強しなくちゃいけないの?」という疑問

子供の頃、怠け者でどちらかというと天邪鬼の私は「何故勉強しなくちゃいけないのか。」という事についてしきりと考えていた。そうした疑問は当時なかなか考えもよらなかったが、今だからこそ、そうした自らに沸き起こる疑問に答えることが出来る。他人には解決できない疑問について、自らの頭で考えるようになるための素材がこの勉強に含まれていたのである。これこそが勉強する意味の一つであろうと思えるのだ。

連綿たるパートナーシップところで人類は原始、現生人類(ホモサピエンスサピエンス)が登場した25万年前頃より脳の容量は変わっていない。しかしながら我々の身の回りのものは明らかに発展・発達していて、いわゆる文明社会の恩恵に服している。これは何故か。そのように考えると、知識や技術の伝承が行われているからに他ならない。つまり「相続」である。相続によって限りある人生をより永続的なものへと変えている。過去からの遺産を現代が引き継ぎ、また未来へと受け渡す。この過程が相続であると考える。金銭や土地の相続以上に、我々は様々なものを先達から受け取っている。しかもこれは血の繋がりに関係なく、垂直的水平的なあらゆる人々からの相続である。だからこそ私は、勉強する意味というのは相続する行為だと捉える。勉強しない事は途轍もなく勿体ない事なのだ。我々は貧富に関わらず、莫大な遺産を受け継ぐことが可能なのである。ある人の一瞬の閃き、ある人が一生かけて知り得た事をたった数分、数時間で教わる。それを土台に次の事を理解し得る。私はこうした事実だけで、「相続とは何か」「文明とは何か」「勉強とはなにか」という様々な疑問を解決できると思っている。

真理の形

世の中に真理という目に見えないものがあるとする。その真理は球体をしていると仮定しよう。球をある一方のみしか見ない場合、それは円である。また他方から見ると円錐であるかもしれないし円柱であるかもしれないし未だベールに包まれている。つまり真理に近づくには多方向から物事を俯瞰することが必要なのだ。得手不得手に関わらず、歴史や数学といった様々な角度のものの見方を知る事が重要となる。我々がパンドラの箱に残した「未来予知」をするためには、このことが必要であり、ただ一方に偏った見方だけでは空想と比して変わらない。様々な方向からその形をつかみ取る事が、球という解の近似値に近づけるのである。そしてこのことが私の子供の頃の疑問への答えとなる。

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学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。