築城400年、熊本城の魅力を紹介。熊本城にみる熊本地震。

 記憶に新しい熊本地震。早くもH28年12月現在でいうところ半年を過ぎてしまった。前震H28年4月14日、本震16日。威容を讃えた熊本城はその姿を一変した。在りし日の熊本城は観光客が絶え間なく訪れ、また県民の象徴として佇む姿はいつもそこにあり、県民を見守っていた。
滝坂次郎

震災以前の熊本城。

 本城は日本の城郭の中でも多くの観光客を集め、その満足度も獲得していた。

 本丸御殿をはじめ城郭の再建事業も進められていて再建に向けて歩みを進めていた。熊本城の隣には加藤神社が存している事でも伺うことが出来るが、熊本では「清正公(せいしょこ)さん」として信仰も厚い。戦国大名で秀吉子飼いの部下でもあった加藤清正は武断派としても著名であった。朝鮮出兵においては他の誰よりも北進し、北は満州までその歩みを進めている。第一次朝鮮出兵では海汀倉の戦いで勝利し、その後は多くの朝鮮軍が帰参、帰順し大した抵抗はなくなった。また第二次朝鮮出兵では敵6万の将兵に味方1700で籠城応戦。飲食の不足に関わらず、援軍到着まで14日間にわたり馬の生き血を啜り、生肉を食べ、持ちこたえた(馬刺しの成り立ち)。その勇猛果敢な戦いぶりから敵からは「鬼上官」と呼ばれていた。そのような姿とは打って変わって内政にも力を入れ、特に治水事業や開墾など優れた土木技術を背景に石高を大幅に増やしている。またこの熊本城築城の際には、農民の動員にあたり、農閑期、給与を支払い、また弁当まで持たせたという逸話まで残されている。このような人望の厚さから県民に今も慕われている。熊本城には彼の経験から多くの試みがなされている。土木技術の好例としては”武者返し”と呼ばれる反り返る石垣。城内の井戸の数は120に至り、籠城に備えて幾多の銀杏を植え、貯蔵までしていたのである。

櫨方門より天守閣を望む

熊本城の櫨方門から見る天守閣
 この場所から望む熊本城には特にその風格が備わっており、登城するまでの堅牢な守りを想像するに易い。ここからの眺めも春夏秋冬により変化する。

石階段を登城

熊本城の階段
 一歩一歩の感覚が広い階段。クランク状の通路が続き前後左右には城壁がそびえ立つ。天守だけは見えていても、なかなか本丸へたどり着くことはできない。

加藤神社より宇土櫓を望む

加藤神社から見る熊本城
 宇土櫓の内部は建築当初の雰囲気を偲ばせる。一歩一歩を歩みを進めると軋む床の音を聞く。板の隙間からは下を覗くこともできる。熊本城における国の重要文化財の一つ。

桜と天守

熊本城の桜
 葉桜となりつつある桜と熊本城。西南戦争でここに散った兵士と散りゆく桜が重なる。松尾芭蕉が奥の細道で書いた「兵たちが夢のあと。」という一文がありありと理解できる情景だ。

震災以前の熊本城の魅力を四季で紹介。

1.春-Spring

熊本城の春 熊本城は花びらをまとう。儚く散りゆく桜を見ると西南の役で戦場となったことを思い起させる。熊本城の魅力は四季折々の姿が同じ場所で楽しめるところにある。私は以前年間パスポートを購入し、その姿を見に度々訪れていた。春には多くの観光客が訪れる。櫨方門には多くの桜が植えてあるのだが、このあたりの桜は夜にはライトアップもされていて、後方にそびえる天守閣と相まって美しい。例年の桜の見頃は4月1日前後。この時期の桜は青空に映える事からも日中に撮影されることが多い。しかし写真家の故・林忠彦氏は楼の一つ宇土櫓をいたく気に入り、夜桜を前景に据えたその姿を写真に収めている。

2.夏-Summer

熊本城の夏 二の丸公園には緑を讃えた木々が多くの木陰を作りもてなしてくれる。何をせずともここで時を過ごすのは魅力的だ。特に遊ぶところを失った子供たちにとっては広大で何もないこの広場は最高の遊技場ともなっている。実は秋には、銀杏の木々によって黄色の絨毯が敷き詰められる。隣に二の丸公園駐車場という大型駐車場がありアクセスも良好だ。ここは地震後も立ち入りできるエリアなので、今の熊本城の状況をうかがい知ることもできる。ちなみにこの二の丸広場には上級武士の屋敷が立ち並んでいた。

3.秋-Autumn

熊本城の秋 熊本のシンボルであるイチョウの木は加藤清正がいつ来るやとも知れぬ籠城に備えて城内に植えたという。秋には本丸のこの大銀杏が目を見張る。実は加藤清正が本丸に植えたとされる2本の銀杏は巨木となった頃に西南の役により焼失した。その後、同じ場所から芽生えた苗が今再びこの巨木となっている。今や樹齢約150年だ。城の銀杏が紅葉したころには、本格的な冬の訪れを教えてくれるものとなっている。秋の熊本城内は黄色の絨毯で埋め尽くされるが、細川刑部邸にも足を運んでほしい。城内とうってかわって日本庭園内のモミジの紅色は特にあざやかで、ウェディングフォトなんかでも訪れる人が多いスポットだ。例年の紅葉の見頃は11月20日前後

4.冬-Winter

熊本城の冬 梅の季節には櫨方門から登城した先にある梅園が見どころだ。ここはメジロがとても多く、安心して蜜をついばんでいる。城内には様々な木々が植栽されていて、梅の種類も豊富にある。赤い梅に城が映えるが、白梅はもっと遠慮深い。例年の梅の見頃は3月1日前後。熊本には雪はあまり積もらないが、意外と寒い。九州の中でも特に、夏は蒸し暑くて、冬は底冷えする。海があっても内陸盆地(例えば京都)のような気候でもある。だからこそその表情は豊かだ。

駐車場へのアクセス

熊本城をはじめ、細川刑部邸、加藤神社、城催苑などへのアクセスが良好な二の丸駐車場がおすすめだ。普通車の場合2時間まで200円それ以降100円ずつ加算される。二の丸駐車場:〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸2−3 普通車160台

震災以後の熊本城。

 本地震では大きな損害を受けた熊本城。

 しかし400年前の築城技術であっても持ちこたえた石垣や櫓がある。そうした過去の技術力の高さは驚嘆に値する。現代の技術を駆使し、また新耐震基準などに合致していても多大なる損傷を受けた家屋が多数に上っている。そんな中、宇土櫓をはじめとして飯田丸など多くの建造物があの地震に耐えていたのである。これは鉄くぎなどを使わない宮大工などの伝統工法の継承・保存の必要性とも合致している。例えば伊勢神宮や出雲大社などで行われる式年遷宮は、こうした技術の継承もその理由の一つに挙げられている。大改修や補修、再建などを通して先達の足跡に触れ、学ぶ。それには大きな意義を為している。今回、復元事業の最中発生した地震の影響で一歩も二歩もその歩みが後退したように感じてしまったのだが、よくよく考えてみると多くの技術を今に受け継ぐ一つの機会と捉えてよいのかもしれない。崩落した石垣から石に彫られた400年前の人物画や観音菩薩の発見などもあった。熊本城が元の姿に戻るまでには多くの月日を要する。しかしそれまでは知り得なかった無数の無形の遺産が受け継がれていくことに、正の意義を感じぜずにはいられない。

震災以後の熊本城

震災後の熊本城
 復元された天守は棟瓦と共にあらゆる瓦が落ちてしまっている。南側にはほんの数十枚瓦が乗っているのみである。また窓ガラスが割れているようにもうかがえる。

崩落する石垣と長塀

熊本城の石垣
 再建された石垣と長塀は崩落してしまった。二の丸公園より撮影。

宇土櫓

熊本城の宇土櫓
 驚くべきことに、この宇土櫓は以前の様子をほとんど留めている。宇土櫓の横の壁は破壊されてしまったが、宇土櫓だけを見るとその被害の大きさを伺い知ることはできない。西南戦争をも生きぬいた最古の楼の一つでありながら、その強固さは素晴らしいものがある。

小天守と大天守

熊本城の大天守と小天守
 夕陽を浴びながら。ちょうど小天守の窓を光らせたので撮影。

ど根性の石垣と飯田丸

熊本城の飯田丸
 この石垣は一本に連なりその端の力だけで櫓を支えていた。被災した人々を勇気づけるものとして脚光を浴びた飯田丸。実はこれも石工の技術によってなせた業。石垣の安定性を保たせるために端に力が加わるようにしたものだという。

震災直後の熊本城。

石垣が崩れた熊本城
 震災後熊本城を訪れてその被害の大きさに愕然とした。もしかすると我が家の被害を目の当たりにしたときよりも大きな衝撃を受けたのかもしれない。この城は熊本のシンボル。多くの人が知らず知らずのうちにアイデンティティの内に刻み込んでいた存在でもあった。

人々の希望であった熊本城。

熊本の街と熊本城
 ブルーシートの家々と熊本城。震災直後は多くの人々が家の外での生活を余儀なくされた。避難所で暮らす人、庭や駐車場で過ごす人、車の中で寝泊まりする人。あまりに続く余震に怯え、屋内にいる事で恐怖が増す。安心して雨をしのぐ場所さえ確保することが困難だった。人は皆、思い思いに身を寄せ合って安全と思わしき建物へ集う。断水、停電の最中、食べ物を分け合って暮らした。一週間、二週間と着の身着のまま。その後入浴できただけで途轍もない喜びを感じていた。私にとっての復興とは、そのような小さな喜びを少しずつ着実に積み上げていく事なのだと思えた。熊本城はいつもそこにあり我々の生活を見守る。ただそこにあるだけで、人々に多くの事を語りかけてくれる。

熊本城の夜景
 震災後約一か月後の夜景。熊本城もライトアップが再開された。震災後は停電に陥り街中の明かりが失われた。しかし今ではこのような夜景を取り戻している。光はいのちの灯。人々の生活の中に少しずつ明かりがともり始めている。

熊本城とブルーインパルス

熊本城とブルーインパルス
 H29年4月熊本地震より丁度一年の節目。その4月に復興を祈念した熊本復興飛翔祭が開催されブルーインパルスが熊本城上空を舞った。多くの人々が雲一つない青空を眺め、そのフライトをみつめた。二の丸公園には約6万人の観客が集まった。ブルーインパルスの記事はこちら

熊本城とねぶた


 私が訪れたのは2017年9月2日。どうやら2016年にも開催されていたらしい。二年連続の熊本復興ねぶた。この城の前でねぶたが見られるという貴重な体験だった。青森から遠く離れた熊本でみられたねぶたについてはこちらに掲載。

熊本城の再建は心の復興。

再建中の熊本城
 私の家も被災し住む場所を一時的に追われた。その時の心境はとても複雑で悲壮に暮れるときもあった。しかし多くの人々も同じ心境だったのだ。それまでは阿蘇の恵みにより、水が豊富な熊本であった。蛇口をひねれば水が出てくることも当たり前だった。そういう生活から様々な人たちが助け合い、食料や飲料、トイレの水など頭をひねって何とか当座を工面する。水のありがたみ、食料のありがたみ、人のありがたみ、あらゆるありがたみを痛感したのである。


 熊本の人々にとっては、熊本城の損壊と阿蘇大橋の崩落は精神的にとても衝撃だった。いずれもそこにそれがある事が当たり前だった。一見文化財などの復興は”無駄”に見えるのかもしれない、もっと優先的に復興すべき場所があるという意見もあるだろう。しかし少なくとも熊本城が少しずつ再建していく道筋、過程を通して、視覚的に我々の心の復興も進んでいっていることを確信できる。それはつまり私の心の復興の過程でもあるのだ。そして当時をゼロとすれば何もかもがプラスになっている気がする。熊本城の再建は、多く我々に得るものがあった事を示してくれるものなのである。

2017熊本復興飛翔祭。蒼天のブルーインパルス。熊本城6万人の歓声。

2017.04.24

【さろく旅】140年前の浪漫を感じとる城下町-熊本の新町古町編

2016.12.22

【さろく旅】熊本中心部。立田山憩いの森を散策。標高152mの頂きへ。

2017.01.01

ABOUTこの記事をかいた人

学生時代にドイツを一周。ジャーマンレイルパスを使って鉄道の旅だった。そのとき始めて触れる空気に圧倒されたのだが、南ドイツに行くにつけ何か懐かしい空気を感じていた。放牧された牧野や美しい川が流れる渓谷。森林の中での散策。そんなときふと思い出したのは地元熊本の阿蘇だった。その景色や空気は阿蘇と似ていた。しかし、南ドイツにも阿蘇にも代えがたい魅力がある事に気づく。私は日本を一周した事がない、それと同じで多くのドイツ人も国を一周した事はないに違いない。私は極限られた自分の生きてきた土地のことも知らなかった事に愕然とする。生きている場所、熊本の魅力は何か、日本の魅力は何か、きっと多くの発見が身近に潜んでいるに違いないと思えた。そんな地元の魅力を発見、いや再発見していくのがこのブログの目的だ。多くの事実を知り、多くの方とそれを共有していくことが出来れば、私にとってこの上のない喜びである。